人付き合いに対して、極限レベルの苦しさを感じる人もいます。

人付き合いに対して、「苦手意識を持っている」のと、「極限レベルの苦しさがある」のとは、まったく度合いが違います。

 

後者に対して、「恐れを超えようよ!」とか「思っているほど怖いものではないよ!」とかの理想論や根性論では、ほとんど助けになりません。(それで解決したり改善したりするなら前者です)

後者の状態にある人にとって、人と関わることや、人の目線を向けられることは、例えば、まるで頭を殴られるような衝撃や、壁が自分に向かって倒れてくるかのような威圧感とか、何かの力が自分に向かって降りかかってくるような攻撃されるような感覚が、比喩ではなく、人との関わりについてまわります。

スピリチュアルな観点からいうと、こうした状態になりやすい方は、胸のチャクラが開きすぎていることから、「感じすぎてしまう」んですね・・・。感じるというのは、この部分が関連しているので。同じ状況からの印象が、平均的な人と比較して、大きな感覚として受け止められて「しまう」ので、気の持ちようとかの話ではないのです。

なぜ、そうした開きすぎの状態がつくられたか、とか、感じることがなぜ恐怖や苦しさのようなネガティブな受け止め方と結びついてしまうのか、という意味まで深く踏み込むならば、考え過ぎだったり神経質だったりトラウマがあったり、その人自身に何らかの理由が存在するとは言えるのかもしれないけれど、「感じる」ことそのものは、気の持ちようでは変わりません。

いろんな個性をもつ人がいます。自分と同じことを当てはめて、簡単に否定したり批判したりすることのないように、尊重していく姿勢をとることも大事ですね。

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