オーラが「大きく」「細かい質感」の人は、わりきりができにくい。

たとえば「オーラ」を、「入れ物」「容器」のようにたとえるとするなら、

「サイズが大きいオーラ」で、「質感が細かい編み目のオーラ」になっていれば、その容器には、たくさんのものを抱えていられて、キープしていられることがイメージされますよね。

実際に、この2つの条件が揃っている人は、エネルギー的に、たくさんのものを抱えていられるメリットがあり、しかし同じことの裏表として、

望んでいなくてもいろいろ抱えたり、引き受けたりしてしまうこととなり、常に忙しく休まらない状態になりやすいです。

自分以外のエネルギーに感化するための、受けとる器が大きいですし、それを留めておくことができる(細かい編み目なので、抜けていきにくい)形状でもあるので、

その状態になれてしまい、それが自然になるので、違うもの同士の「区分け」「差異」の認識が曖昧になることがあります。

それは、違いがわからないということではなくて、違うものも、そうでないものも、(わかっていても)そこに差をつけた扱いをしにくくなる、ということです。

たとえば、「自分のこと」と「他人のこと」に、優先度をつけることに罪悪感がでて、わりきりができないとか、

「長い付き合いの人」と「1回だけの関わりの人」との間にも、親しさの度合いをつけたふるまいをしていいのかと自分を責めて、皆に親切にして、疲弊しまくるようなことが、このオーラの人には起こりやすいです。

わからなくて同列の扱いになってしまう・・・のではなく、

わかっていても、手抜きをしているような自分を責める感覚がでてきて、わりきれないのです。

このオーラの人には「わりきり」がとても大事なことです。そうでなければ、いくら時間と労力があっても生活がまわりきらなくなります。

差をつけたら相手に申し訳ない、自分が悪いと思ってしまって、自分の労力と時間をつかって、その差(本来ならつけてもいいはずの差)を、うめようとしてしまうからです。

この場合は、自分の思いから判断をしてしまうと、わりきれません。

逆に「事実」から判断していくのがいいでしょう。一日は24時間で、労力には限りがあるというところから、逆算のように思考をしてみるといいでしょう。

コメント

  1. りんご より:

    リカコさんこんにちは。
    なるほどなあと思いました。
    割り切りができないのは体質みたいなものなんだなあと理解すると、
    そういう状態であるとわかりどうするかが選びやすくなる感じがしました。

    • リカコ リカコ より:

      この場合は、気質でしょうね。気質のようすが、オーラにあらわれている、ということで。
      気質も、体質と同じように、その人特有の、一生を通じてあまりかわらない特徴というのはあるものです。

  2. S.N より:

     引っ越し前のマンションと、引っ越し後の一軒家を行き来していたら、引っ越し前のマンションに悪いような気持ちになり、自分の中で「意識の区別」がつかなくなって、手放すのが惜しくなって、気持ちが疲れていました。今回のブログで、納得しました!

    いつも、ためになる事を教えて下さって、ありがとうございます。

    • リカコ リカコ より:

      この記事で書いているのは、「わかっているけれど、わりきれない」ケースです。
      わかってはいても、心情をまじえない判断ができにくくなる、ということです。

      書かれているコメントの言葉をおかりするなら、
      「意識の区別はついていても、もう一方を振り切れない」状態です。

      しかし「区別がつかない」状態だったのですよね。
      ならば、おそらくは、この記事でとりあげていることとは別で、

      「以前の住まいについている、自分のオーラへの親和性」
      「自分のオーラがついているものとはなれることへの抵抗感」

      などではないでしょうか。

      区別がつかなく=わからなく なら、そのほうが近いと思います。

      その件に、直接ふれた内容ではないですが、エネルギーがなじんだものとはなれがたいという内容を書いた過去記事がいくつかありますので、こちらのほうが参考になると思います。

      https://light-blue.net/archives/4490
      https://light-blue.net/archives/2342
      https://light-blue.net/archives/3261