私たちの人生の学びは、この世な物質レベルでの「生活」は、大勢の「他人という存在」にさまざまな形で助けられて成立していきます。
霊的なレベルでの「学び」は、守護霊という「たましいの深い繋がりをもつ存在」に、導かれていくことになります。
「この世的な、物資レベルでの生活」と、「霊的なレベルでの学び」は、
どちらも重なって「ひとつ」です。
この世での生活は、実にさまざまな種類のことがあり、
人との関係、金銭面を成立させる手段、自分の内的な思いや感情の動きなど、あらゆる経験をしていく中で、鍛えられて成長していきます。
そして、霊的な学びも、物資的な生活の中に「重なる」ようにして、同時進行で行われていきます。
同じ経験の中で、両方なされていくのが、この世の学びのスタイルです。
物質的な生活は、この世の「自分」や「他人」が、お互いの力をつかって成していくものですから、そのことに、(霊的な)守護霊という存在があまり、ああしろこうしろと、口出ししたり、介入してきたりはしないものです。
霊的な学びは、生活の中に含まれ、重なるようにしてなされていくので、
つまり、どちらの面からしても、この人生のあらゆる場面において、守護霊が、介入してきて、ああしろこうしろとなることはまずない、ということです。
守護霊は、たましいの繋がりが深い、自分自身ともいえるくらいの関係ですので、働きかけがあるとすれば、
自分の「行い」を通して、あらわれていくこととなるでしょう。
ふとした思いの中に、自分のした行動をふりかえってみたときに、他人との関わりの中で気づかされたことの中に、必要なことは含まれています。
そのことをいかにして拾い上げて、自分の人生にあらわしていくか、
この繰り返しで、日々の行いや姿勢も、変化という成長がなされ、
霊的な学びも進んでいくようになっていて、
そういうときに、守護霊と自分との思いが、同じ方向で重なっている実感を
きっと得られるだろうと思います。
日々の生活と、霊的な学びは、重なっていてひとつであり、
自分と、守護霊もまた、たましいの領域が重なって、ひとつの存在です。
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