人生の目的は、ひとつではない。

スピリチュアルなことに関心をもった最初のうちは、「自分の守護霊はどんな人で、自分に何を伝えたいか」や、「どのようにすれば、自分の生活を豊かにしていけるのか」という、わかりやすい方面に関心が向かうものです。

その段階を過ぎて、人は何度も生まれ変わるのは、たましいの学びをするためだというしくみを理解していくようになると、

では「今回の人生を、自分のたましいが決めて生まれてきた目的は何だろう?」というところが気になってくるものです。

そのことを考えてみても、「今の自分が関わっている、あれもこれも当てはまるような気がして、これ!というものが見つからない」か、

逆に「今の自分が関わっていることは、どれもしっくりこなくて、もっと大きな何かが他にあるような気がする」かのどちらかとなり、

結局、考えてみても「自分ではよくわからない」となってしまうケースが多いようですが、それは、目的というものを狭くとらえすぎているからでしょうね。

今回の人生の目的というのは、ひとつではないです。

理解のために、現実的な経験でたとえると「義務教育の目的」とは、ひとつではないですよね。憲法や法律で明文化されている内容としては、きまった表現の文言があるかもしれないけれど、

現実的に解釈すれば、集団生活を学ぶためとか、基礎的な学力や知識をつけるためとか、さらなる高等教育に進んだり、社会にでたりするための準備であるとか、いろいろな目的がありますよね。

長い人生のうちの、たった10年にも満たない義務教育ですら、大きなものから小さなものまでたくさんの目的があるのだから、

この人生を、たましいの目的として眺めるならば、それはもう、無数ともいえるくらいのいろいろが含まれることになります。

大きなものでも複数あり、小さなものまで含めるならば無数に目的があり、私たち人間の感覚では理解しきれない範囲のこともあるでしょうから、

その時点での自分の理解(完全ではないという前提の上で)を、大事にしていったらそれでいいのだと思います。

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