その人は、前世の続きをしているのかもしれない。

ものごとが「いきなりうまくいく」という恵まれた経験をする人が、世の中にはいるもので、

それほど努力をしているようすもなく、苦労をすることもなく、いとも簡単に結果を出してしまう人がをみると、「すごいな」「いいな」という思いとともに、

「なぜ自分は同じようにいかないのか」と、うらやましいような不公平なような、なんとも言えない感情がわいてきてしまいますが、

それは「前世の経験の続き」をしているために結果が早くでているのかもしれません。

今世では、そのことに少しの時間しかとりくみをしていなくて、たいした努力も苦労もなく結果を手に入れているように見えても、

たましいは、何度もうまれかわって経験値を刻んでいるのですから、前世ではしっかりと準備をしていて、種をまいて、育てて、実りを手にする直前の段階まで進んでいたのかもしれませんよね。

そうなれば、今世ではそれほどの時間や労力を掛けることなく、早く結果を手にすることもあり得ます。

現実の事柄におきかえると、大きな規模の仕事であれば、前年と今年とをまたいで行う案件があるのと同じことで、たましいの学びとして、前世と今世にまたがって、続けて同じ事柄にとりくんでいくケースもあるでしょうからね。

たましいの全体としては、きっと相応の努力も苦労もあった上で今世の結果に繋がっているのでしょうし、

その人も、その件とは別の事柄では(前世のアドバンテージがないので)今世でなかなか結果がでない経験をきっとするでしょうし、全体をとらえる視点をもって眺めていくといいですね。

そして、このようにも考えてみるといいです。

自分はその案件をスタートしたばかりの立ち位置にいて、まだ実りまでに到達していないけれど、「これから」得られるという期待の時間を、長く味わうことができるのです。

少しずつできるようになるときの、上っていくようなワクワクする感覚を経験できることは、実りを得ることと同じかそれ以上にエキサイティングですよね。

そういう要素も含めてトータルでとらえてみれば、どちらがいいかなんて一概にはいえず、不公平とかはなくて、

自分は自分に必要な学びを重ねているだけで、相手も相手の学びを重ねているだけで、どちらもそれぞれなのだとわかってきます。

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