霊の姿は見えなくても、霊がいる気配を感じる力がある人もいます

スピリチュアルなことに関心をもつ人は、霊感が強めの人が多いです。セッションでも「霊の姿は見えないけれど、霊がいる雰囲気とかを感じることがある」という話をお聞かせいただく機会は結構あります。

天使の姿をした少女

そういう場合、ご希望があればこちらからも霊視して把握がもしできれば(過去のことには上手く波長があわずにできないこともあります)ご相談者さまが感じたことと、私が把握できたことを照らし合わせてみることもあります。

霊感が強い人は、姿が見えなくても「感覚でなんとなく把握する」という力が強いので、そのなんとなくが結構な精度で当たっていたりもします。

こういう感覚が鋭いかどうかは、備わっている霊感の種類にもよります。必ずしも強さと感じやすさが相関するとは限りません。私のような霊媒タイプは、霊的なエネルギーと同調してなじんでしまう力が強いので(すぐに同調してしまうので)意外と感じにくいです。違和感として感じるので、なじみやすいタイプはそれが難しいんですよね。

コメント

  1. miさん より:

    私は霊を見たことはありませんが、なんとなく存在を感じ、励ましてもらったような気持ちになった事があります。義理の父が亡くなり、家で皆でいる時でした。私はふと、掛け時計を見て「今~分だな」というのと、秒針がカチカチ動いているのが意識のどこかに残っていて、それから、またふと時計を見るとその時間(同じ時間と分)で止まっている事に気付きました。
    普通に考えたら「時計が止まった」だけなのですが、なぜか私には、その時の時間(分や、動いている秒針)を確認した後に、その時間で止まっていたのが強く印象に残り、「父がここにいるよ」と言ってくれたような、私に分かる形で教えてくれたような気が致しました。それは、なにも怖くなく、自然にふわっと、感じた感覚でした。
    見えないけれど、こんな風に感じる事ができた経験は、たった一度でも、とても大切なものになりました。
    父は、いつも控えめで、いつも人の為に行動する人でした。努力している所も人には見せず、何もひけらかさない、そんな人でした。「背中を見て学ぶ」という言葉がありますが、その「背中」で、みせてもらっていたものよりも、もっと多くを(人と築いてきた関係、持ち続けた思い、そこから積んできた行い、大切に作り上げたもの)成してきた事を日々知り、本当に「背中」も控えめだったんだなぁ、、と思うの同時に、会いたい気持ちや、もっと、もっと、沢山お話ししたかったなという気持ちがあふれる気が致します。でも、ずっと見守っていてくれている気が致しますので、私も、父が安心して見ていてくれるように、前へ進んで行きたいと思います。

    私事で
    長くなりましてすみません。

    最後まで、お読み頂きありがとうございました。

    • リカコ リカコ より:

      miさま
      この世には、時間という変化のしくみがあり、あの世には、この世的な時間というものが存在しないと言われています。時計が止まっていて、止まっていることに意識が2回も向けられて気づく(気づかされた?)というのは、

      あの世とこの世を隔てているものが「時計」に象徴されているような、とてもスピリチュアルなものを感じさせてくれる印象的な経験ですね。