オーラを透視することができると、過去のオーラのようす、未来のオーラのようすも、ある程度は把握することが可能です。
過去のオーラについては「一週間前くらいのオーラは・・・」というように、その時期までさかのぼるように、意識をあわせて把握ができます。
未来のオーラは、この先の「可能性」としてのようすですから、必ずそのとおりに推移していくとは限りませんが、こちらも「未来のいつ頃の時期のオーラは・・・」と、意識をあわせていくと見えてくるものは存在します。
オーラのようすは、その人自身の反映ですから、「未来の時期に焦点をあわせたオーラ」とは、「未来での、その人自身の可能性のあらわれ」です。
個別の事柄ではなく、大きなくくりで、「その人の未来のようす」としてオーラをみるとすれば、
ほぼすべての人が、「未来のオーラは明るい」ものとして映ります。
ここは、過去のオーラをみる場合と、まったく違っている点ですね。
未来というのは、現時点より成長した自分がいて、何らかの実りがあるように「なっている」のだろうなと思います。
けれど、実際のところは、いろいろな事情によって、必要な行動をとることができなかったり、不必要なことを考え過ぎてしまったり、または自分以外の都合が絡んできたりで、
複雑に、こじれさせてしまうことも多いので、そうした可能性のとおりには、いかないこともでてくるのでしょうね。
それでも、誰もが、どの時点からも、自分の最善に向かって進んでいくことができるようになっているので、
「全体的な未来のオーラは、明るいものが見える」のだろうなと、私はそのように解釈しています。
なかなか最短距離で、明るい方向にいけない「複雑なこじれ」は、その人自身がこの人生で学ぶ必要があることだったり、経験して気づくプロセスが含まれていて、
明るい方向へいくことを邪魔するものではなくて、
それを越えて明るいところへ到達する、必要な「道のり」なのでしょう。
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