人はたくさんの要素をもつ多面体の存在です。
自分の中には、実にいろいろな「面」がありますが、日常の中ではその全部をつかうことはなく、ごく一部分を場面に応じて使い分けをしています。
相手との関係や場の雰囲気などを考慮して「ある場面では仕切り役の自分」になり、「別の場面ではリラックスして力を抜いている自分」になるというように。
どの面も「多面体という自分の一面」です。
属する場所により「自分に求められているものや、自分が出していくキャラ」みたいなものは、なんとなく決まっていってしまうので、
いつもと同じ場所の、いつもと同じ人間関係の中にいるのでは、
自分が備えている多面のうち、発揮できる面は同じところばかりになります。
その場所では、いつもと同じものを出していけばいいという楽な部分もあるけれど、性質のあらわれが限定されてしまうのは、刺激がなくて飽きてきますよね。
そういう気持ちになったときは、新しい要素との関わりをつくりましょう。
いつもと違う新しい場所の、新しい人間関係の中にいくと、その場の雰囲気や、わり振られる役割や、立ち位置なども新しいものとなるので、
いつもはあまり使うことがない、新しい面を発揮することになったり、自分がそのことに気づきやすくなったりします。
自分には、こんな対応ができる一面があったのか、こういうことに反応する感覚があったんだなと、教えてくれるのは「これまでと違う何か」です。
大人になると、「自分のすべてがもうわかった気になる」もので、または「わかっていない面があるとしても、もうこれでいい」とも思ってしまい、行動範囲が狭くなりがちですが、
新しいことを少しずつでも行ってみることは、多面のうちの、まだ使われていない要素に光をあて、輝く面を増やしていくことになります。
ただ「ある」だけで、使われていなければ「輝き」がでていきません。
あるものを使っていけば、それは言いかえると「磨く」ことですから、自分らしさが輝いていくようになるのです。
コメント
こんにちは、いつも楽しみにしています。
所属するグループや美容院の担当の人
またはお店の店員さん、家族など
私が出すキャラクターが違うのも
相手が受けとる私像が違うのもその為だったんですね…
知らなかったです…
何故こんなに違うのか悩んでた時期があった程です。
例えばあるグループでは私は楽しい話題をする明るい存在だと思います。
違うグループ(スピリチュアル仲間)では自分の野心に気付かない人、または気を使いすぎる人ではないかと…
教えていただいてありがとうございました、長年の悩みがまた1つ解消しましたー
佐和子さま
自分のだすキャラクターが違うのは、その場の人間関係だったり、状況にあわせた(意識的ではない部分もふくめての)使い分けだったり、この記事に書いてあることが該当すると思います。
ですが、「相手が受けとる自分像」については、自分が出すものが変わるからというよりも、相手側の「受け取り装置の違い」があるのではないでしょうか。
仮に、自分がまったく同じ態度をとっていたとしても、相手が変われば、相手の性質を反映した「受け取り装置が変わる」ことになりますから、
自分の、どの部分が強調されて伝わるかとか、相手の思い込みが入ってつたわることもあるでしょうし、そういう「相手側の受け止め方の、バラツキ」という理由のほうが大きいように思います。