「ひらめきアンテナ」が高い人は、行動を前提に考えることが大事。

頭の近くのオーラの形が上部にのびている、直感的センスに優れている人は、アイデアがたくさんひらめきます。オーラの形は、アンテナの役割ととらえるとわかりやすいです。

アンテナが、上部に伸びていれば、上から下へと「降りてくる」ひらめきの受信が他の人より「早く」なり、受信できる波長の領域も「広く」なります。

たくさんのアイデアを得られると、メリットばかりのように思えるけれど、実際にはそうはならず「ひらめいたアイデアにとらわれて行動できなくなる」ことも多いです。

直感的センスに優れている人は、ひらめきばかりを重視せず、現実的な思考を加えてバランスをとることが、力をいかすために必要で大事なことなのです。

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ひらめきにとらわれて行動できなくなる、とは?

ひらめきにとらわれて行動できなくなるとは、どういうことなのか。

それによって何がデメリットなのかを、2つにわけて解説していきます。

1,アイデアをめぐらせることに、時間を使いたくなる。

ひとつは、頭の中に、次々にアイデアがわいてくることを楽しんでしまい、行動を起こさなくなる(そのための時間がなくなる)という点です。

クリエイティブなことを好む人であれば、それに関するアイデアが自分の内側で、展開していく動きにも楽しさを覚えるでしょう。ついつい浸ってしまって時間がとられます。

特定の動きに集中しているときは、アイデアをめぐらせていくことにエネルギーを使うことができません。たとえば熱心にスポーツ観戦をしているときは、意識がそちらに向かいますから、ひらめくことを楽しむ余裕がなくなりますね。

そうなることを嫌って、家の中にいて、頭の中で意識をめぐらせていくことに時間を使いたくなるので、行動ができなくなります。

2,自分が行動できないアイデアも、思いついてしまう。

もうひとつは、ひらめくアイデアが壮大すぎて、行動の起こしようがなくなるという点です。おそらくこちらの理由が該当するケースが多いでしょう。

自分ができる範囲を超えている事柄にも、素晴らしいアイデアが、いとも簡単に「ひらめいてしまう」「アンテナにヒットしてしまう」のが、このタイプなのです。

ある意味、アンテナが高性能すぎる、ともいえるでしょう。

もしも、これが実現できたら、このような機器があったら、大勢の人が幸せになり、世の中が発展するだろうという「アイデア」がひらめいても、自分に、それを設計したり、創り出したりする技術がなければ、アイデアを形にするための「行動を起こしようがない」ですよね。

たとえば、今の自分からかけはなれた遠い外国のことや、特定のスキルがなければできないこと(設計とか、開発とか)は、行動をおこしようがないです。または、その立場でなければできないこと(法律家でなければできない、議員でなければできない等)もたくさんあります。

アンテナが伸びていると、こうした「自分の力が及ぶ範囲外」の事柄についても、それはそれは、素晴らしいアイデアがわいてくるので、

ここで、ひらめきにとらわれて動きが止まってしまうということです。

第三者として考えるなら「アイデアとして素晴らしくても、自分には手掛けられない範囲のことだから、自分が考えなくてもいい」と切り換えて、その他のアイデアを採用していけばいいじゃないと思うけれど、

本人的な気持ちとしては、せっかくの素晴らしいアイデアを手放すことには、抵抗感が大きいものです。

それで、切り換えることも難しく、現実化できないこととわかっていても、そのことを考え続けていたくなり、そうなれば行動のほうに割く時間がなくなるという意味でも、二重に「動けなくなる」のです。

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アイデアを「あらわす」という意識と姿勢で。

ひらめきに優れていることは、有利になる面も多々あるけれど、逆に、ひらめきから意識を離せずに動けなってしまう面もでてくるので、

状況に応じて、行動をとりにくい一番のアイデアを採用せずに、現実化しやすい二番目、三番目のアイデアを採用しようと「決めて動く」ことが大事です。

行動することを前提に、アイデアの採用基準を「自分が決める」のです。

自分が行動できる範囲外のことも受信してしまう「高性能すぎるアンテナ」ですから、ひらめいたことをそのまま受けとめていては、時間ばかりが過ぎていきます。

ひらめきのアンテナは、この先もいくらでもアイデアを受信することができるでしょうから、ひとつの「素晴らしいアイデア」にとらわれないようにしましょう。

この世で過ごす「人生という時間」は貴重なものですから、その時間を使って何をなすか、何に力を掛けていくかを、理性の思考で「決めていく」という意識と姿勢になることですね。

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