前世の経験が、前にでる動きに抵抗感を与えてしまうことがある。

こちらの過去記事で書いたとおり、無意識で「そうしてしまう」「そうなってしまう」思考や行動のパターンがあり、前世から引き継いだものだとすれば、それは複数回の前世によって深く刻まれたと考えられます。

今回の記事は、これまでの前世で、何度も「俗世からはなれた隠遁生活をしている」ケースで、ときどきみられる傾向について書いてみます。

幻想の夜の風景

前世で、仙人や行者を何度も経験している人に多いです。

これまでの前世で、俗世からはなれて仙人のような過ごし方をしたり、山にこもって自分を鍛える行者のような生き方を、いくつもの前世で重ねた人は、

とても優れた感性をもっていたり、自分を律する強さがあったりと、自力がとても大きく備わっている人が多いです。

ところが、隠遁生活をしていた思考と行動のパターンが根づいていて、「なかなか前にでようとしない」ので、力をあらわす機会が限定されて、ちょっともったいないことになってしまうケースもまた多いのですよね。

前世では、自分の存在を人の目から隠すような生き方をしていて、それが普通になっていることと、また、それで力を磨くことができたという、ある種の成功パターンにもなっているため、自分が前にでることに抵抗感がとても大きくなります(前世では、そうしないほうがうまくいっていたので)。

そうなると、今世で、自分の力をあらわしていこうとするときに、ついつい無意識で「そのパターン」がでてしまい、

前世と同じように「人前にでることなく、引っ込んだままで、ものごとを動かしていく」方向で考えてしまい、しかし、その方法では、時代も立場もまったく違うため、うまくはまっていかず、

力が十分にありながらも、それをいかす形をとれずに力を余してしまうことが結構あるのです。

今世では、力をいかすために前にでることも必要。

こうした状況にある人は、これまでに深く刻んだパターンを、新たなものに変えていくことを、今世の学びとして備えてきていると考えられます。

自分を鍛えるための隠遁生活は、もう前世で十分に行ったので、今世でもそれをなぞってさらに深く刻む必要はなく、新たなものを(前世のそれを土台として)刻んでいくという一段上の学びが加わっていくのです。

もしも、これを読んで、自分に当てはまるかもと思う人がいれば、

まずは小さいことから、自分を前に出す必要性という思考と、そのための動きを取り入れてみてください。いろいろなことの、あらわれが変わるはずです。

コメント

  1. さささ より:

    毎日このブログを楽しみにしています。
    前世のことは覚えていませんが(笑)、「引っ込んだままで、ものごとを動かしていく」の考えには非常に馴染みがある感じで憧れなのですが、昨日も人前で目立ちたくない旨について思い出していて、今日りかこさんのブログがこの記事だったので、今後はちゃんと人前に出てでもがんばっていかなあかんのかなあと思いました。
    非常にタイミングが良く。

    • リカコ リカコ より:

      さささ様

      人前にでないままでも、物事がちゃんと展開していくなら、
      そのやり方も「あり」なのだと思います。
      けれど、引っ込んでいることで、物事が動いていかない状態ならば、
      そろそろ「新しいことを取り入れていく時期」「前に出ていく時期」なのでしょうね。

      この記事の内容が、響くものがあるなら、今がそのタイミングなのかもしれないですね。