自分にとって一番の選択肢をとらずに、低い選択肢をとることを止める。

ここ最近の記事で、「自分を認めずに否定」していたり「過小評価」していたりすると、人生のあらゆる場面で「選択ミスをしてしまう」ことから生活全般が混乱しやすくなるという内容を書いています。

自分を否定していると、自分に一番いい選択をとることができず、微妙にかみあわない低い選択肢を「無意識で」選んで、わざわざ負荷が掛かることを集めてしまいます。そしてそのことが良いことだとか、自分のためになることだとかの思い込みをしてしまいます。

私自身もそういうところがあって、わざわざ苦労する選択肢をとりにいったり、最短距離をいかずに、遠回りになる道を進んで(一番いい選択にいくまでにワンクッション置くという)時間稼ぎをしてしまうことがあります。

イチゴ味の飲み物

先日、スーパーで買い物をしているときのことです。1リットルの豆乳を手に取ろうとしたら、注ぎ口となるプラスチックキャップがパックから剥がれている商品をみつけました。もともと不良品だったか、何かにひっかけて取れてしまったのか。

私はこういう商品があると、すぐに目に留まってしまいます。不調和をみわける力がどうも大きいようで、見つけたくないのに見つけてしまいます。。。その上、私は「こういう商品をつい買ってしまう」のですよ(>_<)。理由は、このキャップを誤って取ってしまった誰かがいるなら、私が買うことで、その人のミスを帳消しにしてあげられるのではと考えてしまうからです。

キャップがとれていても、使えないわけじゃないし。。。中身は一緒だし。というふうに考えて、わざわざその品をカゴに入れてしまうのです。私が買えば、この後に気づいていない誰かが買ってしまって困ることもないからそれでいいやと、知らない誰かの負担を取り除こうとしてしまうんですよね。

私はこれまで、こういう行動をとることを「肯定」していて、自分がそうすべき、そうしなければならないと思い込んでいたし、思い込もうともしていた気がします。

でも最近になって、こういう考え方ばかりでは自分の人生を大変にしてしまうんだなあ思うようになりました。自分にとって一番の選択をとらずに、わざわざやりにくい選択をしてしまうのは、一見、誰かへの親切のようでいて、自分を過小評価していることのあらわれなのかもなあと。

この件はひとつのたとえだけれど、私は普段からあらゆることに対してこういう振る舞いをしてしまっています。こうして私が「無意識で自分を低く扱っている」ので、同じものが引きあう波長の法則で、「悪気なく私に負荷をかけてくるクレクレ星人とか、時間泥棒のような人」が自然に集まってきて、なーんか、ものごとがうまくめぐらなくなるんですよね。。。

これは、集まってくる人たちが悪いとこれまで思っていたけれど、そうではなくて、私が引き寄せているんだなと気づきました。

そこで、今後はこういう変な親切?の行動は減らしていこうと思います。私の性格的にゼロにはできないと思うけれど(>_<)、少しずつ減らしていって、自分に一番の選択を素直にとるようにしていきます。

コメント

  1. ゆくり より:

    いつもブログをありがとうございます。今回も納得の記事でした。

    以前、スカイプセッションをして頂いた時に、私の特性としてクレクレ星人を引き寄せてしまうと伺っていたので記事の全てに頷いてしまいました

    先日の記事の
    「霊感が強い人が抱えてしまう、特有の「罪悪感」がある。」
    というのも、私の霊感が強いかはさておき本当にそうだなぁと納得しかありませんでした。

    今までは自分が甘いからとか弱いからとかやるべきだからと自分が原因だと思っていましたが、そうでもない事も沢山あると分かって、ホッとしました。私が頑張ってもどうしようも出来ない事もあるというのは、救いの言葉でした。

    ありがとうございました

    • リカコ リカコ より:

      ゆくり様

      自分を差し置いて、他人を優先しすぎてしまうと、そういうエネルギーを放つ自分が「クレクレ星人」を引き寄せるというのはあるものなんですよね。。。霊感の強さからの罪悪感も絡まるとますます、自分が何かをしなくては!というスイッチが入ってしまうのもそのとおりです。

      自分が甘いとか、弱いとか、自分を低く評価していると、その自己認識にみあった選択を無意識でとろうとして、「そんな甘い自分にふさわしい負荷のかかる選択をしてしまう」ものなので、否定を手放すとりくみを少しずつでもしていくことが大事ですね。またいつか機会があったらぜひセッションをご利用ください(^_^)/

  2. より:

    こんにちは

    私の家族は「人に優しく親切に」が口癖だったので、そうするのが当たり前だと思っていました。

    正直クレクレタイプに人と接すると「嫌だな」とは思うものの、そんな感情を持つ私の方が性格が悪い様な気がして、自分は修行が足りないのだと言い聞かせながら、人を優先させて来ました。

    でも何を頼まれても私は断らなかったので、人からの要求は更にエスカレートし、どうすれば良いのかわからなくなった時期もありました。

    でも最近はそれが共依存とか依存だと聞いてから、要求を受け入れる方にもする方にも不健康な間柄でしかないと知り、断る事の正しさがある場合はちゃんと断れる様になりました。

    でもここに来るまでは本当に大変でしたが!!

    • リカコ リカコ より:

      秋さま

      クレクレタイプの人も、たまにならよいけれど、周囲にそういう人が複数になってしまうと、自分のペースで動けなくなってしまいますよね。そうした状況に気づいたら、自分の中にある「原因」を見つめていき、微調整を繰り返していけば、よい距離感を「自分が」計ることができるようになる気がします。

  3. 明太子 より:

    ちょっと違う立場からのコメントです

    職場に記事のようなタイプの人がいます。
    本人は、皆んなの負担にならないようにと自分が一生懸命動いて
    いつも疲れているのですが、
    助けられている周囲の人は、
    感謝してる人もいる一方で
    「残業代が欲しいからいつまでも仕事してるんでしょ」
    「腹の底じゃ何考えてるのかわからない」
    なんて言う人もいます。
    好かれたくてやってる訳じゃないでしょうけど側から見てて
    そんなに疲れるなら止めれば良いのに、と思ってしまいます。

    自分を低く扱われる事には成功してるのかもしれませんが…

    • リカコ リカコ より:

      明太子様

      自分より他人を優先することが「いつも」になっている人は、それが「本人的な普通の基準」として根づいていることが多いです。本人的にも状況に不満はなくはないとしても態度を変えられないのかもしれませんね。そうなると「疲れるなら自発的にやめればいい」という切り替えは実際には難しいのかもしれません。