寝ている間にみる夢と、現実との差から、気づかされることがある。

睡眠というのはとてもスピリチュアルな行為です。

寝ている間は「たましいがあちらの世界に里帰りしている」(この表現は江原さんの書籍に書かれていました)と言われていますし、

夜に寝ている間に、その日のあらゆる活動によって消費された、たましいの「活力」もチャージされて、翌日の活動のための準備がなされていきいます。

寝ている間にみる「夢」も、ときに、その内容が「スピリチュアルなメッセージ性のある何かをあらわしている」こともあります。

たとえば、夢の中で、とても追い詰められた状況になり、どうやっても打破できそうもなく、「この状況を変えられるなら、何でもやるのに!」と思ったところで、はっと目がさめて「夢だったのかー、よかった」という経験を持つ方は少なくないと思います。

こういうときは、夢を通して「気づかされている」のかもしれません

今の環境はとってもありがたいのに、「もっと、こうなったらいいのに!」と欲が大きすぎたり、「なぜ、もっとこうなってくれないのだろう」と求めすぎていたり、または他力に依存しすぎていたりするときに、

「でも、今の環境も、十分に恵まれていて素晴らしいものだ」という再認識ができる機会を与えられ、気づかされていることもあるのでしょう。

この世には「時間」というしくみがあります。

時間の経過が。私たちに「比較」という感覚を与え、そこから私たちは気づかされて、成長していくことができます。

しかし、時間の経過によって起こる、ものごとの動きのスピードはそんなに速くはないですから、現実の日々の中では、大きな落差がつくような比較の出来事は、そう頻繁には起こりませんね。

そういうときに、手っ取り早く?「現実」と「夢の中」という、違う次元を使って、印象が深くなる状況を通して、学ばされることもあるのでしょう。

夢の中では追い詰められて、大変なストレスがあるとしても、目が覚めてみれば「夢だった!」と安心できるのですから、こうした「現実的な痛みの少ない、気づきの経験」というのは、ありがたいものではないでしょうか。

目が覚めて「夢でよかった」と安心するという経験を何度も繰り返すときは、日々の現実の中で、自分が抱いているいろいろな思いを見つめ直してみるといいでしょう。

しかし、中には、あまりに大きなプレッシャーを与えられるとか、恐ろしい内容の夢ばかりを必要以上に見続けてしまうケースもあります。そういうときは、気この件とは別で、「自分のコンディションが下がっている」などの、他の理由が絡んでいることが多いです。

いずれにしても、現実の自分に気づかせてくれる機会であるので、そこから気づきをつかみとって、日々にいかしていきたいものです。

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