他人の、「若気の至り」による言動から、気付かされること。

他人が、幼い考えからの行動、分別のない言動をしているのを見て「過去の自分も、あのような考えや行動をしていた時期がある」と気付かされることがありますよね。

すべては繋がっていて、自分も他人も繋がっていて・・・、過去と今も繋がっていて・・・、過去の自分の様子を、客観視できるように(他人の言動を通して)見せてくださっているとも言えますね。(もちろん、気付くため「だけ」にそれらの現象が存在するのではないです)

他人の様子を通して、過去の自分の幼さや、分かったツモリ発言を見せられるとき、その頃を悔やんだり、恥ずかしくなったり、穴があったら入りたいどころか、穴を掘ったら地球の裏側まで突き抜けてしまいそうな(笑)、そんな思いになることもあるかもしれません。

けれど、そういうことに気付いていけるということは、それだけ成長した証拠なのです。

成長という変化があったからこそ、過去の自分の考え方や言動と、今の自分のそれとに距離が出来て、だからこそ客観視ができて、他人の言動が感性のセンサーに反応するわけです。

過去の自分を見せられているようで、苦しさが出てきたり、恥ずかしい気持ちになったりしても、しかし、過去のそれらの経験があったからこそ今の自分が(過去の経験の延長上に)存在しているのであり、

そこから成長した今に至っているのは喜ばしいことであり、それらすべてを含めて、愛すべき自分自身であると受けとめていくことが出来たら一番いいと思います。

あの頃に、今の大人の感性を持ったままで戻りたい、至らない行動を取り消したい、と思うこともあるでしょう。その頃の周囲の人達が、「若気の至り」丸出しな自分を見て、どう思っていたのかと考えることが恥ずかしくなるからです。

けれど、皆、順番だから・・・、その当時の周囲の人達も、「昔の自分を見せられて」いたことになり、おそらく、同じようにその人自身の過去を振り返るきっかけになっていたかと思います。

きっと、それ以上のことには、考えが向かわないのではないでしょうか。

ちょうど、自分自身が、今、他人の幼い言動を通して(その人のことではなく)自分を省みているのと同じですね。

そのように考えると、過去の幼い自分も、当時の周囲にいた人達が、その人自身を振り返るきっかけとして役だっていたかもしれず、そうして皆、順番に、役割を入れ替えて、協力し合って学びあっているのでしょう。

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