習得する学びへ軌道修正がなされるとしたら、人生の中盤以降。

こちらの過去記事でとりあげたとおり、この人生で習得する根幹の学びから、まったく別の方向へいこうとすると、自分の内側のセンサーが反応して、軌道修正がはかられることがあります。

たましいが決めている学びの方向へ、進むようになっている。

こういうときの違和感とは、好き嫌いから生じるものではありません。フィーリング的な、合う合わないという感覚とも違います。

輪郭がはっきりしないぼんやりとした感覚だけれども、それを「気のせい」とか「まあいいか」と、流してしまうことができないような、不思議な実体感として自分の内にそれがある、という感覚になると思います。

自分のたましいが決めていることとは、そういう感覚になるようです。強い主張とは違う、じわっとした存在感のような実体感のような感覚で伝わるものがでてきます。

天使之姿をしている女性

軌道修正は、時間をかけてなされます。

こういうときの軌道修正は、いきなりは進みません。

その感覚が自分の中に根づくことにも、その感覚に基づいた思考や行動をとっていくようになるにも、それなりの時間が掛かります。

ものごとがくり返されて、それが「紙についた折り目」のように、クセづけがなされて、エネルギーの経路が確立されていくまでには、回数を重ねることが必要になりますからね。

ほとんどのケースで、自分の中に「こうした違和感」がでてくる時点で既に、変化に向かっていく動きはスタートしているのだと思われます。少し進んだところで気づくようになっていて、そこから意識的になっていき動きが加速していくのでしょう。

軌道修正があるとしたら、人生の中盤以降でしょう。

こうした軌道修正の感覚がでてくるとしたら(全員に起こるわけではないです。まったくこういう感覚を経験しない人生を過ごす人もいます)、

それは、人生の中盤から後半でしょうね。

たとえば、基礎を積み重ねた後に、そろそろ応用へ移っていくべき時期にきたときに(気づかずに、まだ基礎をやりつづけようとしてしまうと),違和感がでてきて、気づかされるようなことが起こるという形になるなら、積み重ねが「しきい値」を超えるまでは起こらない、ということですから。

または、年齢が若いうちは柔軟なので、修正という動きが必要とされず、大人になるほど、いろいろな経験からの思考パターン、行動パターンという「紙にしっかりついた折り目」ができあがっているため、新たなパターンをつくっていくには修正作業がいるということでもありますね。

人生の中盤以降、こうした時期を経験することで、「この感覚は何だろう」「この感覚はどこからくるのか」という点に答えを探そうとして、スピリチュアルなしくみに関心がでてくるケースも少なくないようです。

コメント

  1. かぷちん より:

    実は…。
    私が、まさにこの感覚を約1年前頃から薄々と感じはじめ、少しずつ確信に変わってきたのが今年に入ってからです。

    それをスピリチュアル的な考察から、どう映るのだろう?と、

    確かめたくて、リカコさんのリーディングをお願いしました。

    現状と未来が感じていた通りで合点がいきました。

    • リカコ リカコ より:

      かぷちん 様

      このような違和感は、とってもわかりにくく、こういうことかなとわかるまでに時間が掛かるもので、
      その気づくプロセスも、軌道修正をする動きに含まれていて、
      軌道を変えるということは、それだけ、労力も時間も掛かってしまうことのあらわれなのだろうと思います。