自分の、直せないところと、直さなくていいところ。

今の自分よりも、よりよい自分でありたいと、自分を向上させる取り組みをしている方はとても素晴らしいと思います。

ですが、「今よりもっと○○な自分を」と意識するあまり、「直さなくていいところを、直そうとしている人」は多いです。別の表現をすると、「直せないところを、直すことが可能だと思っている人」が多いとも言えます。

この2つは、同じことに対する別の表現なのです。

 

有形の部分は、直せないとわかりやすい。

物理的に、どうやっても直せないところは、わかりやすいです。たとえば、背が高い人を低く直したり、アメリカ人を日本人に直したりすることができないのは、考えるまでもなく普通にわかることですよね。「有形」の部分は変えられないことが多いです。

髪の毛をロングからショートにカットすることはできますが、生まれつきの硬い髪質を柔らかく変えることはできません。髪質は、思い通りに直すことができない部分です。

このように、有形の部分は、生まれ持った性質とかなり深く結びついているので、変えられないことが多いです。それは簡単にわかりますよね。

無形の部分は、直せると誤解されてしまいやすい。

一方、無形の部分については「形がないのだから、努力しだいで変えられる」と思い込んでしまったり、「直そうとしないのは怠けである」という決めつけをしてしまう人が少なくないようです。

しかし、無形の部分であっても、生まれつき備えている性質であれば、そう簡単には変えられないものです。

たとえば、考え方や受け止め方の特徴だったり、感情の豊かさだったり、何を好むかという傾向などの中にも生まれもった性質(本質)と深く結びついていることはたくさんあります(全部がそうだとは言いませんが。もちろん後天的なものもあります)。

内面的なことは決まった形がないけれども、目に見える形として存在していないだけで、性質という「決まったものがある」以上は、そう簡単に後からの働きかけで変えられることばかりではないし、変えなければいけないものでもありません。

有形のものは、そうした判断基準がわかりやすいけれど、無形のもの基準が明確になりにくいという特徴があり、誤解されることが多いけれども、性格や性質も、多分にうまれもった先天的なものが含まれています。

自分を否定しない、向上の取り組み方を。

自分を、より向上させようという取り組みは素晴らしいことです。ですが、現状の自分を否定して、そこを直すことに取り組むというのは、なかなかうまくいきません。

否定からスタートした向上の取り組みは、自分を認めた上での、ゼロやプラスからのスタートとは、異なるルートを進むことになり、ずっとは進んでいけなくなるものです。

なぜなら、いくつものプロセスがつくられて、期間が長くなり、複雑になるからです。

無駄にプロセスを作らずに、そのままを認めればよく、直そうとしなくていいんだと受け入れていけば、いきなりプラスに取り組むことができます。

無形の要素でも、有形の要素と同様に、直せないところはたくさんあります。そして、直そうとする必要もないのです。それも含めて自分であり「個性のひとつ」だからです。

個性を否定することなく、個性をいかす生き方をするほうが、ずっと有意義であり、自分の向上に繋がっていきます。自分らしさを出しやすくなりますから。

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