悪意や呪いが自分に「返る」ことはあるのか。

いかにもな、おどろおどろしいタイトルですが・・・、記事の内容としては、とてもシンプルな「エネルギーの動き」の説明です。

「他人を呪うと、自分に返る」という解釈は、わりと一般的にいわれていることですよね。

これは、負の感情を抱かないように、戒めからいわれていることなのか、それとも、実際に「返る」という動きはあるのか、エネルギーの動きのしくみから考察してみたいと思います。

日常の人間関係の中で、相手に対する、大きな怒りや不満の感情がわいてきて、それが大きくなって、呪い・・・とはいかないまでも、恨みや悪意の気持ちがわいてしまうことは、多くの人が経験していると思います。

で、そういう大きな悪意を抱くと、だいたいその後に、自分にそれがはね返るかのような、悪意が悪意を引き寄せたかのような、理不尽な目にあったりして、

ああやっぱり、悪意の気持ちをもつようなことは、しないほうがいいのだなーと、気づかされることは多いのではないでしょうか(笑)。

これは、実際に「自分に返る」というあらわれなのか、それとも「罪悪感から、結びつけてとらえている」だけなのか。

このことを、「エネルギーの動き」からとらえるならば、

はね返ってくる、戻ってくるとは、ちょっと違う動きですが、

自分が抱いた悪意が、出来事を引き起こすエネルギー的な要因になっている、とはいえると思います。

こちらの過去記事に、動きのしくみについて説明したものがあります。

相手を思うエネルギーは、相手へ(一部分は)届く。
「こんなふうになったらいいな」「この件はどうなるかな」などと、私たちは日々いろいろなことを「思い」ますよね。 「思うこと」は、「エネルギーを作り出すこと」でもあります。 ...

リンク先の記事内のとおりで、

自分が放った「思いのエネルギー」のうち、相手へ届くのは一部であり、大部分は自分のところへ留まります

ですから、大きな悪意を放ってしまったとしても、放ったものは、ほぼ自分のところに留まるエネルギーなので、

放ったものが返ってくる、というよりは、

自分がつくったものが、自分のところに存在していて、それが自分に降りかかる、または、同じ要素のエネルギーが「波長の法則」で引き寄せられることで、あらわれがおこる、という構図になりますね。

そうして、気づかされ、学ばされるようになっているのだと思います。

エネルギーの動きのしくみからすると、そういう解釈になります。

このしくみを前提にするなら、

やはり、自分の幸せのために

相手に、悪意などの負の感情を抱くことは、多少はしかたないとしても(人間なので、そういうこともあるでしょう)、いつまでも抱き続けるようなことは、なるべく控えて

そのエネルギーを、別のことに転化していかしていくほうがいいですよね。

思いのエネルギーは、明るいものを放ち、自分を満たし、前進していくための力にしたいものです。

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