たましいの学びは、わからないままでも問題はない。

スピリチュアルなしくみの観点からすれば、人という存在は、何度も生まれ変わってたましいを磨く学びを重ねていることになります。

スピリチュアルな知識が深まっていくと、しくみを自分の人生にあてはめて解釈していこうとしますから、

「自分はたましいを磨くことができているのか」とか「今回の人生での、たましいの学びとは何だろう」ということが、とても気になってくることがあります。

この人生で学ぼうとしている事柄を把握すれば、それにそって人生を順調に進めていけるという期待もあるでしょうし、もしくは、やるべきことに気づかなければ、遠回りや、自分にあわないことをしてしまう不安もあるかもしれません。

いずれにしても「今回の人生でのたましいの学び」というテーマは、スピリチュアルに深い関心がある人にとっては、意識してしまう事柄のひとつです。

ですが、たましいの学びというのは、大きいものから、小さいものまでたくさんあります。わかりやすいものも、わかりにくいものもあります。

ある程度、人生の経験(行動の積み重ねや、時間の経過など)がなければ、比較対象がないので認識しにくいものも多々ありますし、

ときには「複数回の人生をまたいで成していく学び」もあり、そういうものは、今回の人生を過ごしている自分の感覚ではおそらくはとらえられないです。

たましいの学びがどのようなものであるか、意識的になっていくことで学びが深まるケースも確かにあるけれど、そうでなくても学びはそれなりに進んでいくようになっています。

そこは「委ねる」という気持ちも大事なのだと思います。

「いつか、必要があればわかる時期がくるだろう」という委ねと、

「いずれにしても、必要な学びは進んでいくようになっている」という委ねと、

そういう気持ちで、しくみを信頼して、今の自分がいる場所でまずはすべきことをしていけば、学びは進んでいき、自分がわかることができる範囲のことが、時間とともにわかっていくようになるのだと思います。

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